■あらすじ
プハラの国にはカラコン山の氷河から流れてきた大きな川が静かに流れています。どじょうやなまずや鯉や鮒などがたくさんいます。でも、この国の林野取締法の第一条は、「火薬を使って鳥をとってはなりません、毒もみをして魚をとってはなりません。」と、川に毒を入れて魚をごっそり捕ることを禁止しています。ある夏、この第一条に違反して毒で魚を捕る者が現れました。この町の警察署に新しく赴任した署長さんは、犯人を捕まえようと必死です。ところが、子供たちや町の人たちの中で署長が怪しいという噂が広がって、仕方なく町長さんが確かめに行きました。署長さんはすぐに毒もみは自分だと話しました。署長さんは処刑されるとき「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」と言ったのでした。
■みどころ
犯罪を取り締まる警察署長が犯罪を犯して「地獄でもやろうかな」と言ったという、ブラックユーモアにも思える風変わりな賢治作品です。いったい賢治はこの作品をとおして何を言いたかったのでしょうか。
賢治作品には、お話の最後に主人公や登場人物がボッソリと意味深な一言を言って終わるというパターンがいくつも見られます。「オツベルと象」「セロ弾きのゴーシュ」などなど。最後の一言がその作品の奥行きをぐっと深め、不思議な読後感が読む人を惹きつけます。
毒もみという漁法は、狩猟採集民族としての人類が古くから世界中で行ってきた方法であり、必ずしも近代以降の化学薬品を使った犯罪行為に限定されないことを考えると、町の人みんながすっかり感服したというのもないことではないような気がします。
プハラという国の大きな川を舞台にしたお話ですが、もしかしてチェコのプラハを流れるヴルダヴァ(モルダウ)川、賢治がレコードで聞いたスメタナの曲と関わりがあるのでしょうか。それともイーハトーブの北上川のイメージなのでしょうか。そんな空想も広がります。