13 山男の四月

■あらすじ
 四月のある日、山男が日あたりのいい南向きのかれ芝の上に寝転んであおい空をながめていると、からだが軽くなって、いつの間にか町の入口に来ていました。そこを通りかかった支那人の反物屋に呼び止められて、六神丸という薬を飲まされます。するとからだが小さくなって、六神丸という薬の箱になってしまいました。同じように六神丸の箱にされた人たちと支那人と話すうち、もとに戻れる黒い丸薬があることを知ります。支那人の商売中に山男がそれを飲みもとに戻ったのですが、支那人も丸薬を飲んだのでからだが大きくなってしまい、山男につかみかかってきました。その時、山男は目が覚めました。それは夢だったのです。

■みどころ
 童話集「注文の多い料理店」所収のお話です。童話集出版時に賢治が書いた広告文では、「山男の四月」について、「四月のかれ草の中にねころんだ山男の夢です。烏の北斗七星といつしよに、一つの小さなこゝろの種子を有ちます。」と書かれています。同じ広告文で「烏の北斗七星」については、「戦ふものゝ内的感情です。」と書かれています。この二つの作品の共通の「小さなこころの種子」とはいったい何なのでしょうか。そう考えてみると、山男の夢に出てきた支那人たちが、山男には何だかつらそうに生きているように見えていることが気になってきます。「どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように。」と願う烏の大尉のこころに播かれた種と同じものが、夢で支那人の姿を見た山男のこころの中にも播かれたのかもしれません。
 「山男」は民話の世界によく登場しますが、大方、乱暴者の巨きな怪物のようなイメージで描かれます。ところが、賢治のお話に出てくる「山男」は、(「狼森と笊森、盗森」「祭の晩」)いずれも気が小さくて正直でこころやさしい存在として描かれています。イーハトーブの世界で森と人間との理想的な関係ができたとき、森の住人の山男の姿もこのように変容するのでしょう。