
子兎のホモイは、川で流されたひばりの子供を助け上げました。ひばりの親子はホモイにお礼を言って、ひばりの王からの贈物として貝の火という宝珠を渡しました。とちの実くらいある玉の中で赤い火がちらちら燃えています。ホモイは、その玉を毎日みがいて大切にして美しい火花をのぞいていました。
馬や栗鼠など獣たちが貝の火を持ったホモイを崇めるようになると、ホモイはだんだん気が大きくなって、意地悪の狐を叱りつけたりしました。そして動物たちを手下にして仕事を言いつけたり、できない者を脅したりしました。
次の日から狐が盗んできたパンをダアイドコロの木になったと言っても、ムグラは毒むしだからいじめると言っても、ホモイはそれを疑おうとしませんでした。その度にホモイはお父さんに叱られ「貝の火は砕けてしまう」と言われるのですが、貝の火は一層美しく燃えていました。
次の日ホモイが狐の「獣たちを捕らえて動物園をつくる」との話に乗ったために鳥たちが百匹も捕まってしまいました。我に返ったホモイですが、狐に脅されて逃げ帰ってしまい、貝の火にもとうとう白いくもりが現れます。お父さんに連れられてホモイは狐と戦おうとしますが、狐には逃げられ、助けられた獣たちの前で貝の火は突然割れてその粉がホモイの目に入り、ホモイの目は白く濁って物が見えなくなってしまいました。獣たちも興ざめして去って行きました。お父さんは「こんなことはどこにもある」「それをよくわかったお前は一番さいわいだ」「目はきっと又よくなる」とホモイを励ましました。
■みどころ
子兎が目が見えなくなるという悲惨な結末だったり、お父さんの行動が不可解だったり、少し難解ですっきりしない読後感を味わう人が多いかも知れません。でも、賢治の好きな石の中で頓に美しいトパーズをモチーフに考え出されたこの作品は、賢治の信奉する仏教界の法華経の教えを柱に据えた、渾身の一作と見ることもできます。
このお話は子兎のホモイが宝の玉を贈られたことで自分が偉いという誤解をして他の動物たちを虐げたことから天罰が下って目が見えなくなった、という因果応報の教訓話と見えてしまいます。しかし、賢治はこうした煩悩は誰でもが持っているものであり、因果ということで直線的に完結させるのではなく、誰もが傲慢になり盲目的になり他者に欺され他者を虐げてもいずれ戒めを受け我に返り目を見開いていくということを輪冠的に繰り返し受け継いでいくものであるということを言おうとしているのではないでしょうか。お父さんもまた物事を因果という単線的な理解でホモイを叱っていますし、うろたえて盲従するお母さんも含めて、ホモイの失敗から新たな世界に目を開いていくような気がします。貝の火という宝珠は、そのようにして多くの動物たちの手に渡りながらそれぞれを救い続けていくのでしょう。