
ぼくらの方のざしき童子のはなしです。
・家の庭でこどもが遊んでいると、家の座敷から箒の音がする。こっそり覗いてみても誰もいなかった。
・10人の子供らた「大道めぐり」遊びをして座敷の中をぐるぐる回っていた。いつの間にか11人になっていて、皆自分だけはざしきぼっこじゃないときちんと座っていた。
・本家の子どもがはしかにかかって、お祭りに行きたいと言ったものだから、8月の祭りを9月に延ばして分家の子どもたちが呼ばれた。分家のこどもたちは迷惑がって本家の子どもが来ると座敷の奥に逃げていった。そしたらそこに本家の子どもが泣き出しそうな顔で座っていた。
・北上川の渡し船の船頭が、月夜の晩に紋付袴の子供を乗せた。子供は、笹田の家に長く居たが飽きたので更木の斎藤家に行くと言って、岸に着いたときには消えてしまった。その後、笹田は落ちぶれ、斎藤は立派になった。
■みどころ
柳田国男の「遠野物語」が刊行されたのが1910年。賢治のいる花巻地方の東にある遠野地方に伝わる民話、伝承が記されていて、座敷わらしも度々登場する。賢治は、遠野の座敷わらしの話に対して、花巻を「ぼくらの方」として座敷ぼっこの話を風に聞いた心象スケッチ風にまとめたと思われます。賢治の作品の中では後期の作で公表されていますが、民話を素材とした作風は他の作品とは少し異なる印象を受けます。
4つめのお話は花巻市南の現在の北上市にあった北上川の渡し場に伝わる話です。江戸時代後期に北上川の舟運が栄えていた頃の情景を思い起させる「歴史物」でもあります。
1926年雑誌「月曜」2月号に発表。