
あるとき嘉十は膝を痛め湯治で治そうと西の山へすすきの野原歩いて行きました。
お昼は持ってきただんごを食べてまた歩き出しましたが、お昼の場所に手ぬぐいを忘れたので取りに行きました。ところが、嘉十の残しただんごを狙って鹿が六匹きていたので、嘉十はすすきの間から様子をうかがいました。不思議なことに嘉十には鹿たちの言葉が聞こえてきたのでした。
鹿たちは、落ちている手ぬぐいが得体の知れないものに見えて恐る恐る確かめようとしました。六匹目の鹿がとうとう手ぬぐいをくわえて何でもないので鹿たちは安心しました。鹿は一匹ずつ歌い出しました。嘉十はその情景があまりにも美しいので自分と鹿の違いがわからなくなって思わず鹿たちの前に飛び出しました。びっくりした鹿たちは驚いて一度立ち上がりましたが、すすきの波の中を逃げていってしまいました。
■みどころ
「鹿踊り」は主に東北地方で行われる郷土芸能。獅子の装束の踊り手が勇壮に踊り神社に奉納されます。賢治は花巻の秋祭りで毎年鹿踊りを見ていました。花巻の鹿踊りは春日流と呼ばれ、踊り手が太鼓を打ち鳴らし、獅子頭の後ろからささらと言われる白い長い飾り板を伸ばしこれを地面に打ち付けながら踊ります。この花巻を代表する郷土芸能がタイトルになっているのに、中身は郷土芸能ではなくほんとうの鹿と人間との出会いのお話です。ただ、花巻の鹿踊りの演目の一つ「案山子踊り」は、笠をかぶった案山子を人間だと思った鹿たちがおそるおそる近づいては逃げ最後の鹿が笠を取って人間ではないことがわかると鹿たちが大喜びするというユーモラスなもので、この演目がお話のヒントになっている可能性はあります。
嘉十少年の見た鹿たちの様子はコミカルで花巻弁のやり取りと共に楽しませてくれますが、印象的なのはこの後に鹿たちが順番に歌うシーン。空に輝く太陽から眼前に繁茂するはんの木、その足下に揺れるススキ、その根元に小さく健気にさく梅鉢草。これらを連歌のように鹿たちが歌いつなぐことで、壮大な自然界が目の前の梅鉢草の花に凝縮されていく展開は、光に彩られながら、読む人を絵画のような世界に誘います。
このお話の冒頭と末尾の文から、このお話は夕陽の中で風が語った「鹿踊りの本当の精神」のことだということになっています。「鹿踊りのはじまり」は、由緒や起源という意味よりも、神に奉納されるこの踊りの「こころ」が何なのかということを意味しているようです。鹿が生きるものとして梅鉢草の花をちを愛しく思う気持ちが自然界に包まれた喜びや感謝につながっていることを描こうとしているのかもしれません。
童話集「注文の多い料理店」所収
■合唱劇「鹿踊りのはじまり」作曲:林光
上演:合唱団じゃがいも《委嘱初演》(第29回定期演奏会 2002.10.26山形テルサ・ホール)《再演》(第43回定期演奏会 2016.12.4山形市民会館大ホール)すすきの野原の美しさと共に鹿役になった6人の歌い手が個性豊かに演じる楽しさがこの合唱劇の魅力です。