
九月一日二学期の始まりの日 、谷川の岸の小さな小学校に一人の転校生が初秋の風とともにやってきました。名前が高田三郎だったので、子供たちは「風の又三郎」とあだ名を付けました。
次の日(九月二日)には授業が始まりました。三郎が加わったことで、子供たちの関係にも変化が現れます。四日の日曜日には、一郎、嘉助、佐太郎、悦治の四人は三郎を上の野原での遊びに誘います。ところが、一郎の兄さんから頼まれた馬が逃げてしまい、追いかけた嘉助と三郎が道に迷ってしまいます。嘉助は気を失いながらも何とか一郎の兄さんたちに発見されますが、三郎も馬も戻っており三郎の落ち着きぶりに嘉助は驚かされます。六日の放課後には、一郎たちは三郎を誘って葡萄蔓とりにでかけます。途中、畑の煙草の葉を取ってしまった三郎を耕助は冷やかします。三郎は栗の木の上から耕助に水を落として仕返ししますが三郎から謝って仲直りします。七日の放課後は川のサイカチの木の下の淵で水遊びです。そこで発破で魚捕りをする大人たちと出会います。八日の放課後も川へ行きました。毒もみで魚を捕ろうとしたり鬼ごっこをして遊びます。夕立に降られて皆家に帰りました。
九月十二日、風の強い朝、一郎と嘉助が早く学校に行って教室を掃除していると、三郎は父親の仕事の都合で他のの学校に行ってしまったことを先生から告げられます。「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」と嘉助が叫びました。
■みどころ
賢治は「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「ポラーノの広場」「グスコーブドリの伝記」の四作品を「少年小説」という言葉で区分けしているメモを残しています。いずれも賢治の作品の中では比較的長い物語となっていて主人公は少年たちです。賢治は花巻農学校で十代半ばの多感な少年たちに教鞭をとる立場でした。四作品ともこの時期以降に作品として成立していることを考えると、少年が成長していく姿を描く物語を書くことで生徒たちを含む少年たちにメッセージを伝えようとしたのかもしれません。「風の又三郎」も一郎や嘉助たちが転校生と交流する中で神様や異界の存在と現実世界を行き来しながら成長していく姿を巧みに描いています。
「風の又三郎」のお話の舞台となった谷川の岸の小さな小学校にモデルとなった地域はあるのでしょうか。三郎の父がモリブデンの採掘のためにこの村に来ていることから、この希少鉱物が実際に採れた花巻の北東の現岩手県大迫町が舞台になっているというのも一説です。また、「種山が原」「サイカチ淵」という初期作品が織り込まれていることから、花巻から南東に北上山地に分け入る種山が原や、賢治の生家の花巻市内南を流れる豊沢川にあった川淵など、モデル地域もいくつか織りなしているようです。
1934年10月「宮沢賢治全集(3)」(文圃堂書店)所収
■映画「風の又三郎」1940年 配給/日活 監督/島耕二